専業ネットブログ

東京都墨田区平井橋店所属新聞奨学生の記録です。

新聞奨学生の将来

筆者は所謂就職氷河期世代の人間です。


新聞奨学生を修了して今年で18年経ちました。(2004年卒)


当時の仲間たちはどうなったのでしょう。ネットで見ると当時の販売店はもう閉鎖されているようです。このご時世新聞離れで近隣と統合されたのでしょう。


新聞離れが進んでこのご時世ではもう新聞奨学生なんて目指す高校生諸君も極々少数なのかもしれませんのでこのブログも誰の役にも立たないかもしれません。


新聞奨学生の将来、筆者を含めて当時の仲間は卒業後、どこで何をしているのでしょうか。


筆者:千葉県にあるFラン大学をぎりぎり卒業。一応、就職活動をするが、面接中眠くて仕方がなく案の定全滅。それから18年余り過ぎ、、、途中一部上場企業子会社の役員まで上り詰め、今では中小企業で雇われ社長やってます。Fラン大学でも高校時代はそこそこ名の知れた進学校だったので、それが功を奏したのかもしれません。新聞奨学生時代の精神は生きていると思いますよ。雨の中、泥に落ちた新聞をかき集めて絶望と戦いながら過ごした4年間。実社会では当時のような絶望感は味合わない。寧ろ天国に感じることの方が多い。


S君:北海道帯広出身。東京の専門学校へ通っていた。卒業後は少し専業をやっていたものの、キャノン印刷機の営業で外回りで忙しそうだった。それが、確か2009年頃の話でそれから一度も会っていない。どうなっていることやら。当時の電話番号やメールも今は使われていない。北海道へ帰ったのだろうか。当時、北海道の実家へ久しぶりに帰ったら親が喜んで肉の塊を持たしてくれてたな。S君も普段は親のことなんて考えてなかったようだけどあの時は幸せそうだったな。


M君:埼玉県出身。M君は同期だけど1つ年上だった。小柄なM君は当時から運転免許があり、休日に軽トラでレインボーブリッジに行ったな。馬力がないから、エンジン音が凄くて壊れるんじゃないかと思ったけど、あの時は流石年上はすげえなった思いましたよ。


Tさん:韓国出身。筆者が担当した1区の先輩。さらに大学も同じでしたが留年したようだった。卒業後は一切連絡を取っていない。当時、神田外国語に通っていた彼女と結婚するようなことも言っていた。将来は専業になると給与をいいのでここで頑張るとも言っていたような気がする。


あれから18年、当時の仲間が元気に生きているかどうかが心配だ。


一度新聞屋に入ると舞い戻る風習がある。一度足を洗ってもまたどこかの新聞屋で働いてしまう。長く新聞屋に務めると一般社会から閉ざされたような気持にもなる。浦島太郎のような感覚かもしれない。


つづく

はじめまして

はじめまして、元新聞奨学生の1区担当です。


辛い新聞奨学生時代の記憶をここに書き留めて置きたいと考え、今パソコンに向かっています。人生には苦労は買ってでもした方がいいなどと言うことがあります。
その先にはきっと苦労しないで過ごした人間よりも素晴らしい未来が待っていると信じ、親元から独立し一人の大人になることだけを心に決め新聞配達をした4年間。


最近、世間を賑わす「ブラック企業」ですが、私が新聞奨学生をやっていた2000年から2004年にはそんな言葉も耳に入りませんでした。


新聞奨学生を終えて15年が経ちやっと当時の自分と向き合えるような気がします。
やっと当時の自分を認めてやることができるような気がします。


そんな思いで、記憶を頼りに綴って見たいと思います。


このブログは毎日は更新しません。


同じ新聞奨学生で苦しみや楽しみ、そして夢を語り合った仲間達に届けることができれば幸いです。



                                1区担当より